大分地方裁判所 昭和32年(行)2号 判決 1960年6月21日
原告 谷口洋子
被告 大分県知事
主文
被告がいずれも昭和二十二年七月二日付をもつて別紙目録記載の土地につきなした買収並びに売渡処分は、別紙図面表示<2><3><6><5><7>の各点を順次連結した線で囲まれた地域に対する部分が無効であることを確認する。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二十分し、その十九を原告、その余を被告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立
一、原告
被告が別紙目録記載の土地に対し、いずれも昭和二十二年七月二日付をもつてなした買収並びに売渡処分はいずれも無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。
との判決を求める。
二、被告
原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求める。
第二、請求の原因
一、別紙目録記載の土地(以下本件土地という。)はもと原告先代亡谷口英雄の所有であつたが、同人は昭和二十年六月二十日死亡し、原告が家督相続によりその所有権を取得した。
二、訴外大分県大分郡湯布院町農地委員会は、右の土地は自創法第三条に該当するものとして昭和二十二年五月二日右土地につき買収計画を樹立し、所定の手続を経たうえ、被告は、昭和二十四年三月頃、原告に昭和二十二年七月二日付買収令書を交付してこれが買収処分をなし、且つ自創法第十六条に基き訴外生嶋立喜に昭和二十二年七月二日付売渡通知書を交付してこれが売渡処分をなした。
三、しかしながら右買収並びに売渡処分には次のような無効原因がある。
(一) 本件土地は次のとおり農地ではない。
本件土地は右売渡処分ののち分筆により(イ)同所同番の一、田二畝二十四歩、(ロ)同番の四、田一反八畝九歩、(ハ)同番の五、田三畝二十一歩となつているところ、
(1) 右(イ)の土地はその北に隣接する原告所有同番の二、宅地四十八坪四合と建物敷地として一体となつていた土地で、両地の西側溝に面する部分には同一の屋敷造の石垣が築かれ、その縁に茶株が生育し、又(イ)の土地の南側の部分は(ハ)の土地より一段高く屋敷造の石垣が築かれており、(イ)の土地内には桜樹が植栽され、その余地少々に疏菜が植えられていて、且又右両地にまたがつて訴外生嶋立喜所有の家屋が建築されていたのであつて、元来一個の宅地であつた。もつとも右家屋は現在(イ)の地上にあるが、これは同家屋が前記二千九百八十六番の二、宅地四十八坪四合上にあつたので、原告がその収去土地明渡を求め、同訴外人において数年前現在の位置に移動せしめたからである。
(2) (ロ)の土地は、もとその北西側に原告先代所有の木造トタン葺平家建倉庫一棟建坪三十坪があり、同先代が竹材製造場として使用していたが、昭和十八年十一月応召するに際しこれを地元青年団に譲渡したところ、その後間もなく取り壊されたため現在地上建物はない(もつとも右建物はなお家屋台帳に登録されてある)が、敷地跡にして、又同地内には原告所有の同所同番の三、鉱泉地八坪があり、(ロ)の土地が宅地であることは明らかである。
(3) (ハ)の土地には、もと原告先代所有の物置一棟建坪二十二坪があり、同先代が竹材貯蔵庫として使用していたが、前同様地元青年団に譲渡された後取り壊され(もつとも右建物もなお家屋台帳に登録されている。)、その敷地跡を訴外生嶋立喜、同青年が副食用自家野菜栽培に利用していたものであつて、屋敷続きの疏菜園にすぎず、(ハ)の土地が宅地であることは明らかである。
(二) 仮に右理由なしとするも、本件土地は次の事由から自創法第五条第五号にいわゆる近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地であること明らかであつて、湯布院町農地委員会においてすべからく買収除外の指定をなすべきであつたにかゝわらず、これをなさず漫然買収計画を樹立したのは違法であり、したがつてこれを踏襲した被告の本件買収処分は無効たるを免れない。すなわち、
(1) 本件土地は大分県著名の温泉地湯布院町温泉地帯の中心地内にあつて、日本国有鉄道久大線由布院駅から五分足らずの距離にあるところ、昭和二十三年二月二日湯布院町議会の議決により同町がなした都市計画適用に関する答申に基き認可のあつた都市計画実施区域にも包含せられており、附近には当時既に旅館飲食店住宅があつて、現在では右都市計画に基き本件土地の西南方から本件土地に至つて新河川開設工事が施工されているが、この新河川の対岸には旅館街建設が予定されている。
(2) また本件土地は、前述の如く北側に隣接し道路に面する原告所有の宅地が存し本件土地内には鉱泉地があつて、原告の先々代谷口斎は、竹製造並貯蔵場所有の目的でこれを買受け地上に倉庫物置を建築使用していたけれども、同所に住宅を建築し老後を養う予定にしておつたもので、同人が早く死亡したのち原告先代英雄も母カツをして同所で保養させようとしていたが、第二次大戦となり建築が制限されその目的を達し得なかつたので、現在原告及びその母において右カツをして老後を養わしむべく計画しているのである。
以上のとおり本件土地の位置、周囲の状況、土地の利用の関係等からすると、本件土地が「近くその使用目的を変更することを相当とする農地」であること明らかであり、しかもこの都市計画の実施は本件買収計画樹立の際既に予測されておつたのであるから買収除外の指定をなすべきであつたのである。
現に湯布院町農地委員会は当時買収計画樹立の際その他の土地については現況並びに地目が田である小作地であつてもその地内に鉱泉地のある場合はその周囲百五十坪ないし二百坪を近く宅地とすることを相当とする農地として買収計画より除外しており、本件土地附近一帯については自創法に基き農地として買収せられながらその直後から耕作以外の目的(宅地)に利用する目的で地目変更の許可申請がなされ許可された数は数千筆に達する。本件土地もまた現在宅地に地目変更されているのである。
(三) 次に憲法は国民の私有財産保護の規定を有する。これを剥奪するには特別なる法規に基くことを要し、然らざる限りこれをなし得ない。されば自創法第三条に基く買収は極力厳格に行い、みだりに拡張解釈なすを許さないと解すべきであるから、同法第五条に定むる買収除外の指定も有効適切に行われなければならない。しかるに、本件土地は前述の如く鉱泉地があり近く使用目的を変更することを相当とする農地であつたのに、これについては鉱泉地八坪のみを残し他の全部につき買収計画が樹立された。僅かに八坪の鉱泉地ではさらに利用価値なきに加え、周囲を他人の土地に囲繞され道路からは直線を以てしても約三十二間余他人の土地を通つた奥にあることとなり、鉱泉の利用は殆んど不可能となつた。鉱泉を原告所有の二千九百八十六番の二の宅地で引用しようとしても、右両地の高位差は約三尺余あり、同番の三にある浴槽はこれにより更に約一間下の位置にあり、そうして右鉱泉地の中心から右宅地の中心まで約七間あつて鉱泉を導くためには落差約十尺を必要とするから、右の宅地で鉱泉を利用するためには地下約十尺に浴槽を設けるかあるいは電力で吸引するかしなければならず、到底利用することはできない。かくの如きは明らかに憲法に定むる国民の権利擁護に欠くるところがあるから、本件買収若分は無効である。
以上いずれの点よりするも本件買収処分は違法にしてその違法が重大且つ明白であるから無効であり、無効な買収処分に基く本件売渡処分もまた無効である。
よつて右買収並びに売渡処分の無効確認を求める。
第三、被告の答弁
一、請求原因一、二の事実は認める。
二、同三、(一)、(1)、(2)、(3)の事実中、訴外生嶋立喜が原告主張の二千九百八十六番の二、宅地四十八坪四合上の家屋を所有していたこと、原告主張の鉱泉地が温泉として現存していること、原告の先々代谷口斎が大正十四年三月十日右鉱泉地を含む本件土地を買い受けその一部にバラツクの建物を建築し竹材を集荷していたことは認めるが、その余の土地も宅地である旨の主張事実は否認する。右宅地も生嶋立喜において賃借し住宅を建築し農耕に従事していたのであるから、附帯施設として買収すべき旨申請すれば当然買収の対象となつたのであつて、同人があえてこれをなさなかつたために原告はこれが買収を免れその後同人において前記住宅を隣接地に移転しこれを原告に返還したにすぎない。
三、同三、(二)、(1)、(2)の事実中、本件土地が原告主張の位置にあり交通至便なること、湯布院町が昭和二十三年二月二日都市計画法適用に関する答申をなし、建設省が右答申に基き同年十月二十六日都市計画法第十二条第一項により旧湯布院町全域を都市計画法の適用を受ける地域に指定し、昭和三十年五月二十四日建設省告示第七百七十七号で町中心部約十八万坪につき区画整理地区の決定をなし、同地区内に本件土地があること、前述の如く原告先々代谷口斎が本件土地を買受け建物を建築し竹材を集荷していたことは認める。しかしながら本件土地は、その附近に五棟の建物が散在するのみで、駅前の商店街より稍へだたり周囲は田圃となつており市街地を形成するに至つていないし、又右区画整理事業は昭和三十五年五月二十四日頃から漸く施行されたものであつて、買収期日以後の事情変更により本件買収並びに売渡処分の効力が左右されるものではないから、右処分は相当で違法ではない。
四、同三、(三)の事実中、本件土地内に原告主張の鉱泉地が存在することは認める。しかしながら原告は同所同番の二、宅地四十八坪四合を所有するから、該宅地と右鉱泉地との間に多少の距離があつても温泉を利用することは可能であり、温泉の存在価値を失うに至らしめるものではない。宅地内又は宅地に近接して温泉の存在することは便利ではあるが、農地改革実施の精神からして右鉱泉地に隣接する農地を買収から除外しなかつたとしても違法とはいえない。
第四、証拠関係<省略>
理由
第一、別紙目録記載の土地(以下本件土地という。)がもと先代亡谷口英雄の所有であり、同人が昭和二十年六月二十日死亡し、原告が家督相続によりその所有権を取得したこと、訴外大分県大分郡湯布院町農地委員会が右の土地は自創法第三条に該当するものとして昭和二十二年五月二日右土地につき買収計画を樹立し、所定の手続を経たうえ、被告が、昭和二十四年三月頃、原告に昭和二十二年七月二日付買収令書を交付してこれが買収処分をなし、且つ自創法第十六条に基き訴外生嶋立喜に昭和二十二年七月二日付売渡通知書を交付してこれが売渡処分をなしたことは当事者間に争いがない。
第二、原告は右買収処分には重大かつ明白な違法があると主張するので次に判断する。
一、原告は、本件土地は右買収処分当時において農地でなかつたに拘らず農地として買収処分をなした違法があると主張する。
本件土地が右売渡処分ののち分筆により(イ)同所同番の一、田二畝二十四歩、(ロ)同番の四、田一反八畝九歩、(ハ)同番の五、田三畝二十一歩となつていることは被告の明らかに争わないところである。
成立に争いのない甲第七ないし第十号証、同第十五号証、同乙第二、三、四号証、証人谷口カツ、同日野文夫(後記信用しない部分を除く)、同河野クラ、同生嶋喜年の各証言、原告法定代理人の供述(後記信用しない部分を除く)、検証の結果(第一、二回)を綜合すると、
本件土地及び同所同番の二田一畝十八歩同所同番の三、田八歩はもと同所同番、田二反六畝二十歩なる一筆の土地であつて、原告先々代谷口斎が訴外河野光とともに竹材製造場並びに貯蔵場所有の目的で大正十四年三月十日売買によりこれを買受け、ついで昭和三年八月三十日河野の持分全部を買受け一人持となり、その後原告先代更に原告が順次相続によりこれを承継取得したものであること。原告の先々代は大正十五年二月二十七日これを同番の一、田二反四畝二十四歩内畦畔一畝二十二歩、同番の二、田一畝十八歩、同番の三、田八歩に分割届出、同年六月二十一日、同番の二、田一畝十八歩を宅地四十八坪四合に同番の三、田八歩を鉱泉地八坪にそれぞれ地目変換届出、各その旨土地台帳に登録されたけれども登記手続はなされていなかつたこと。そこで本件買収売渡処分に際し被告が代位登記の嘱託をして、右のとおり分筆登記をなし、同番の一、田二反四畝二十四歩内畦畔一畝二十二歩につき本件買収並びに売渡処分がなされ、右売渡処分の後原告主張のとおり分筆されて(イ)(ロ)(ハ)の三筆となり現在に至つたこと。
原告先々代は右の土地を買受けたのち、当時田であつたのをそのうち現在の同番の二の部分及び(ロ)(ハ)の部分の各一部を取潰し宅地に造成したうえ、(ロ)(ハ)の地上に木造トタン葺平家建倉庫一棟建坪三十坪、木造トタン葺平家建物置一棟建坪二十二坪を建設し竹材製造集荷に使用し、その余の土地は生嶋立喜に賃貸小作せしめ、その後昭和七、八年頃訴外河野某に当時空閑地となつていた現在の同所同番の二の宅地を貸与したところ、同人は(イ)の土地の北西角から東一、〇二米の地点よりほゞ東南に向つて長さ一・八七米にわたり幅〇・三米の二個の切石を地中に埋めこみ、これを南西隅の礎石とする木造トタン葺二階建居宅一棟階下十二坪二階六坪を北向に両地にまたがつて建設居住し酒類小売業を営んでいたが、その後右建物、敷地借地権は訴外斎藤某に譲渡され、ついで同人から生嶋立喜が譲受けたこと。
前記倉庫物置は原告先代が戦時中にこれを地元青年団に譲渡しその後間もなくこれが取り壊されるに及んで、その敷地跡は再び田に造成され、又(イ)の土地の前記建物の敷地部分(建物の軒下から南へ少なくとも一間幅の小坪を含む)以外は従前から疏菜畑に利用され、いずれも生嶋立喜、同喜年においてこれが耕作に従事してきたこと。
昭和三十四年十月七日検証当時(イ)の土地は同所同番の二の土地に接しその西側及び南側に南北及び東西にわたり切石又は栗石で築かれた石垣があつて境界のない一団の土地であり右垣の縁にはところどころに茶の木が植栽されており、(ハ)の土地は(イ)の土地の南に接し約〇・四米低位にあり、(ロ)の土地は(イ)(ハ)の東に接し、北から南にかけて三段に分れた段地でその最北部は(イ)の土地と境界のない地続きの土地、その南は約〇・三米低位であつてその間に石垣が築かれ、最南部は更に〇・七米低くその間に石垣が築かれていることがそれぞれ認められる。
右認定事実に徴すれば、本件買収処分当時、その対象となつた同番の一、田二反四畝二十四歩内畦畔一畝二十二歩のうち、現在の(イ)の土地の一部すなわち、同番の二の土地の西北角を<1>点同点から西側石垣沿いに南一四・五米の地点を<2>点同点から同様石垣沿いに南三・六七米の地点を<3>点、<1>点から北側排水溝沿いに東一一・八米の地点を<4>点、同点から南一四・九米(<3>点から東一四・三五米)の地点を<5>点(同番の二の土地の東南角に該当する。)、同点から通路沿いに南三、六七米の地点を<6>点とするとき<2><3><6><5><2>の各点を順次連結した線で囲まれた部分(別紙図面参照)は明らかに前記建物の敷地部分と認むべきであるが、その余の部分は疏菜畑として(ロ)(ハ)の土地は田として耕作の目的に供せられていたものと認めるのを相当とする。
証人日野文夫、原告法定代理人の各供述中右認定に反する部分は前記各証拠にてらしてたやすく信用することができず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
してみれば、右認定の敷地部分は自創法第三条にいう農地に該当しないものといわねばならないから本件買収処分において、被告が、これを農地と誤認したことは違法であり、且つその瑕疵は重大・明白であることは勿論でこの部分については買収処分は無効であり、したがつてこれが有効であることを前提とする売渡処分もまた当然無効となるものである(なお本件買収並びに売渡処分は一筆の土地二反四畝二十四歩内畦畔一畝二十二歩に対してなされたものであるが、右建物敷地部分はその極小部分であつて他の田畑部分と区画し得るから右一筆全部の買収並びに売渡処分が無効となるのでなく、そのうち右建物敷地部分について買収売渡処分が無効となるものと解するのを相当とする)。
しかしながら本件土地のうちその余の部分は前認定のとおり田又は疏菜畑として耕作の目的に供されていたものであつて自創法第三条にいう農地に該当するものというべきであるから本件買収竝びに売渡処分にはこの点においての違法は存しない。
もつとも現に耕作の目的に供されているからといつて、そのように利用されるに至つた事情、当該所有者の将来における利用目的等諸般の事情をも考慮するときは宅地を一時的に農耕の目的に使用しているものと認定するのが相当である場合も存するけれども、本件においてかような認定が容易になし得るものと認むべき事情もないのであるから本件買収処分において農地と判断することに過誤があつたとしても、その過誤が明白なものということはできないから、これをもつて本件買収処分を当然無効ならしめると断ずることはできない。
二、次に、原告は本件土地が近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地であると主張する。
原告法定代理人の供述により昭和三十三年六月十四日撮影に係る本件土地及びその周辺の写真であることが認められる甲第十四号証の一ないし七、証人谷口カツ、同日野文夫、同生嶋喜年の各証言、検証の結果(第一、二回)を綜合すると、
本件土地は、日本国有鉄道久大線由布院駅の北東約五百米にあり、駅前商店街と同町湯ノ平温泉街との間の略中間に位置し、近くに駅前から湯ノ平を経て別府に至る道路が通じ、昭和三十四年十月七日の検証当時該道路の北側に住宅二棟、同所同番の二の宅地東側に旅館住宅各一棟、(イ)の地上に住宅二棟、(ハ)の地上に旅館一棟が散在するが、本件土地と至近の一般住宅地帯との距離は約四百ないし五百米あり、周囲はおゝむね水田であること。
本件買収処分当時は本件土地上に前記生嶋立喜所有の木造二階建居宅一棟があつたのみで他に建物なく、周囲を水田で囲繞されていたことがそれぞれ認められる。右認定を覆えすに足る証拠はない。
しかして、昭和二十三年二月二日湯布院町議会の議決により同町がなした都市計画適用に関する答申に基き、建設省が、同年十月二十六日都市計画法第十二条第一項により旧湯布院町全域を都市計画法の適用を受ける地域に指定し、昭和三十年五月二十四日建設省告示第七百七十七号で町中心部約十八万坪につき区画整理地区の決定をなし、同地区内に本件土地のあることは当事者間に争いがない。
以上の事実から考察するとき、本件買収処分当時、本件土地の近傍が次第に発展し、後市街地を形成するに至る蓋然性が全然なかつたとはいえないにしても、その市街地の形成は遠い将来に予測されていたにすぎなかつたと認めるのを相当とする。
ところで自創法第五条第五号により買収除外すべきものをこの指定をしないで買収することが重大、明白な違法があるとして無効となるのは、当該農地委員会において右指定をなすべきことが客観的に明白な場合、すなわち当該農地の立地条件、現況、周囲の土地利用状況等からして極めて近い将来に非農地化が必至であること明白な場合に限ると解するのを相当とするところ、本件土地の当時の状況は右認定のとおりであつて原告主張の本件土地利用の意図、前段認定の本件土地の沿革等を併せ考慮しても、尚本件土地が極めて近い将来非農地なること必至であること明白であつたとは断ずることができない。
なお、この点に関し原告は当時買収計画樹立の際その他の土地については現況が田である小作地であつてもその地内に鉱泉地があればその周囲は近く宅地とすることを相当とする農地として買収除外されたのであり、又本件土地附近一帯については買収直後から農地の使用目的変更許可申請がなされ、これが許可されているもの数千筆に達する旨主張し、成立に争いのない甲第十三号証、証人岩男穎一、同谷口カツの各証言、原告法定代理人の供述、湯布院町農地委員会に対する調査嘱託の結果(第二、三回)によると、湯布院町農地委員会又は同町農業委員会において鉱泉地の周辺にある田、畑につき買収除外の指定をなしたもののあること、同町における農地の転用許可申請が昭和二十五、六年頃から増加し、昭和二十八年頃からは急増し、それに応じて許可件数も増大したことが窺えるので本件土地の買収計画を樹立した農地委員会において取扱いに差別を設け行政権行使にいささか妥当を欠くものがあるように見受けられるが、それだからといつて本件土地が近く使用目的を変更することを相当とする農地でこれが買収処分は違法であるとすることはできない。
三、次に原告は、本件買収処分は原告所有同所同番の三、鉱泉地八坪の利用を殆んど不可能たらしめるに至り、憲法の私有財産保護の規定に違反する旨主張する。
同所同番の三、鉱泉地八坪が原告の所有であることは当事者間に争いがなく、検証の結果(第一、二回)によると、右鉱泉地八坪は(ロ)の土地の西南隅にあり、その北及び東は(ロ)の土地、西は(ハ)の土地で囲まれているが、南側は排水溝を隔てて道路に面し、その道路を通つて原告所有同所同番の二の宅地及び湯布院駅湯の坪間の公道に至ることができるのであり、又右鉱泉地は周囲にコンクリート壁をめぐらせ、地面より約〇・八米低く湯槽を設け、トタン葺木造の浴場上屋を建築し、粗末ながら浴場設備をとゝのえていることが認められる。右認定に反する証拠はない。
したがつて、この鉱泉を原告所有同番の二の宅地で利用することが困難不便であるとしても、鉱泉地自体の利用は可能なのであり、本件買収処分がその利用を殆んど不可能たらしめ、温泉の存在価値を失うに至らしめるとはいえないから、原告の主張は採用することはできない。
第三、以上の次第であるから原告の本訴請求中、別紙図面表示<2><3><6><5><2>の各点を順次連結した線で囲まれた範囲についての買収並びに売渡処分の無効確認を求める部分は相当であるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 綿引末男 奥輝雄 山口繁)
(別紙目録省略)